ロードバイクの「ロ」

家庭との両立にもがく貧脚ローディー。クラブ・ロードロのリーダーによる泡沫自転車ブログ。

ダークサイドに堕ちて早4年。でも諦めきれない。

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最近ツイッターにネガティブなことばっかり書いてて自分でも嫌になるので、ブログにネガティブなこと吐き出して、これで終わりにしたいと思う。


ロードバイク にほとんど乗れなくなって早4年。

実走はほとんどできない。

じゃあローラー生活を充実させよう!と思っても、乗ったり乗れなかったり。乗れてもせいぜい1時間。

でもそれが唯一の心の支えだった。かろうじて「趣味:ロードバイク 」と言えた。

しかし、そのローラーもついにできなくなってしまった。

静音性が高いって話はどこいった?

先日、キッカースナップを買った。静音性が高いという口コミが購入の決め手。

でも、実際に使ってみるとけっこううるさい。負荷が150Wを超えたあたりから、唸るような重低音と振動が発生する。

ベランダで使用しているのだが、室内にいた妻からついに「やめた方がいいと思う」と言われた。

我が家は下の階の住人と騒音トラブルになっている。
緊急事態宣言のあいだ、娘の保育園が休園になり、しかたなく在宅で仕事をしながら自宅保育をしていたのだが、娘の走り回る足音や大声、泣き声が階下に伝わっていたらしく、3回ほど直接、2回ほど管理人を通じ間接的にクレームを入れられ、強制退去も仄めかされた。

それ以降、騒音や振動には敏感になっており、これ以上、階下の住人との関係を悪化させるのは得策ではないというのが夫婦の共通認識になっていた。

ワンチャン、ローラーの初期不良という可能性もあったので、代理店に返品して確認してもらったが、現実は残酷で「異常なし」とのこと。

そういうわけで、この日を境にローラーの使用を断念した。

ロードバイクを趣味にできる時点で選ばれた存在

この決定は頭では納得しているのだが、思っていた以上にローラーが精神安定のための最終防壁になっていたようで、心では納得できていない。

ふとした瞬間に、「ああ、もう乗れないんだな…」という思いが頭をよぎり、落ち込んでしまう。

そんな俺を見て、妻は「(ロードバイクという趣味そのものが)身の丈にあってないんじゃない?」と言う。

確かにロードバイクという趣味は、選ばれし者のみが許される趣味のように最近感じる。

高価な機材を買える経済力が必要だ。
それらを室内保管できる広さの家が必要だ。
室内でローラーをできる住環境が必要だ。
家事・育児を放り出して半日、あるいは丸一日走りに行ける時間や家族の理解が必要だ。

あげたらキリないが、とにかく越えなければいけないハードルが無数にある。

SNSのタイムラインを見ていると、みんな自由気ままにロードバイクに乗っているよに思えてくるが、彼らは上記のハードルの多く(あるいは全て)をクリアしてきた選ばれし存在なんだ。

そのことをすっかり忘れていた。

おそらくその影には、俺のようなハードルを越えられなかった者の骸が無数に転がってるはず。人知れず退場していったローディーは多いに違いない。SNSに書き込んでないので可視化されてないだけだろう。

そう考えると、妻の言う通りなのかもしれない。

好きすぎて打たれ弱くなってしまった

でも、「はい、そうですか」と潔く引き下がれるほど人間が出来てないのである。

好きだけに、好きだからこそ、ウジウジと悩んでしまう。

ロードバイクが好きすぎて、乗りたくて、それに反してどんどんできることが少なくなっていって辛い。ストレスがめちゃくちゃ溜まる。

そういった感情が言動に出てしまう。

落ち込むと子供の相手が雑になる。妻への接し方もぞんざいになる。やらなければいけない家事や子供の世話も身が入らなくなる。返事もまともにしなくなる。ボーっとする時間が増える。

妻は最初は同情してくれているけど、しだいにしびれを切らし、イライラしてくる。そうしてロードバイクという趣味に対する心象が悪化していく。

この状況を自分で勝手に「ダークサイドに堕ちた」と呼んでいるのだけれど、4年間、俺はシスの暗黒卿をやっているわけだ。

ツイッターにもそんなことを書いてる。側から見て負のオーラを出しまくってると思う。

ダークサイドに堕ちて、家族にはとても申し訳なく思ってる。悪いのは気持ちを切り替えられない俺なんだ。

でも切り替えられない。

昔はこんなんじゃなかった。

落ち込んでもそれは一瞬で、すぐに頭を切り替えられたし、むしろその切り替えの速さが自分の長所だと思っていた。周りに迷惑かけるようなこともなかった(と思う)。

でもロードバイクは好きすぎて、やりたくて、だからやれると思ってたのにやれなくなると相当メンタルに来る。

好きすぎるが故に打たれ弱くなってしまった。